枝村匠馬選手引退
現在は藤枝MYFCでプレーしている枝村匠馬選手の現役引退が発表されました。
物凄い当たり年だった2005年の新加入組のうちの一人がまた引退する事になりました。枝村はアカデミー育ちで、Jユースカップ決勝でG大阪と戦った時に当時中二ながら途中出場していたのが彼の存在を知った最初で、その後順調に育って2005年にトップチームに昇格。なかなか出場機会がなかったものの、リーグ戦最初の出場が何と10/22の日本平でのダービーで、しかもCBの森岡が怪我をして当時ボランチをしていた高木和道をCBに回さないといけない事になったためにボランチのスタメンに抜擢されたんですよね。ただその試合をきっかけにスタメンに定着して、その年のエスパのJ1残留に大きく貢献しました。その後も長谷川監督体制下においてボランチもしくはサイドハーフの主力として伊東テル、兵働、藤本淳吾などとともにエスパの中盤を支えてくれました。ゴトビ監督になってから試合出場機会が減ったために2012年から2年半、C大阪、名古屋、神戸と他クラブを渡り歩いた後2015年にエスパに復帰。その年は力を出し切れず(右WBで出場した試合もありましたねぇ)チームも降格してしまいましたが、2016年のJ2の戦いでは途中から右サイドハーフの主力となり、目立たないけど気の利いたプレーでチームを支え、1年でのJ1昇格に大きく貢献してくれました。残念ながら翌年の2017年限りで契約非更新となりましたが、今でも愛されている選手だと思います。インタビューの受け答えからしてどこか朴訥としていてプレーも飄々とやっていて消えている時間もあるのですが、どこかで気の利いたプレーをし、かつ時折印象的なゴールを決めるという掴みどころがないんだけどよく噛むと味がある、みたいな(汗)そんな選手でした(気の利いた表現が出来なくてすみませんw)。
そんな枝村選手がクラブにメッセージを寄せてくれました。
枝村のゴールなどで印象に残ったプレーなどは沢山あるのですが、やはり彼のリーグ戦デビューとなった前述の2005年10月22日のダービーをあげたいです。その年は長谷川監督の就任一年目で残留争いをしていて、しかもダービーの前の試合はアウェーで大分に0-5でボロ負けしていて、もうボロボロだったのです。そんな中で怪我人が多数出たためとはいえ新人をダービーで使って大丈夫かと試合前は思っていたのですが、彼の献身的な動きと前への推進力、パス出しにしても自分で持ち出すにしても全体を押し上げる力が中盤を一気に活性化させたんですよね。「これは凄い!」と思いました。この試合はドローに終わりましたが、この時の枝村の抜擢によって中盤が活性化し、次の試合で斉藤俊秀の欠場により抜擢された青山によって最終ラインに高さが加わった。この2人の抜擢によってチームの流れが一気に好転してその年のJ1残留とその後の天皇杯準優勝に繋がりました。もし枝村の抜擢がなかったら2005年に降格していたかもしれないし、その印象的なプレーぶりも含めて忘れられないです。
またまた長くなってしまいましたが、印象に残る選手でした。引退後どうするかはわかりませんが、もし可能ならエスパルスのアカデミーに来て頂いて後輩の育成を手伝ってくれたらな、と思います。
枝村選手、お疲れ様でした。引退後の人生が幸多き事を心からお祈りします。
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