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2020年5月 2日 (土)

思い出の試合4(1999年1月1日 第78回天皇杯決勝 横浜Fvs清水(国立))

 今朝(5/2)、99年の天皇杯決勝、横浜フリューゲルスとの試合が放送されました。毎年の天皇杯のたびに何か「晒されてる」みたいな気分になるやつですね(汗)。この放送をご覧になった方は多いのではないかと思います。まあチャンピオンシップからの流れもあるので、この試合を観終わっての感想を書きたいと思います。

 エスパルスのスタメンとベンチメンバーは以下の通りです。

GK 真田
DF 市川、斎藤、森岡、戸田
MF 安藤、サントス、伊東、澤登
FW 長谷川、ファビーニョ
SUB 中原、西澤、大榎、アレックス、平松

 コイントスに勝って風上のエリアをとったエスパは、試合開始とともに横浜F陣内に攻めかかります。長谷川、ファビーニョのポストプレイを起点にし、自慢の両サイドからどんどん突っかけていき、守備では素早い切り替えから2、3人でボールを奪いに行く厳しい守備で、横浜Fに攻め手を与えません。そして13分、両サイドからの揺さぶりで右サイドへ流れたボールをテルが拾ってクロスを上げ、ノボリがダイビングヘッドで合わせてエスパが先制します。エスパはその後も横浜Fにつけ入るスキを与えず、何度か決定機を作りますが、GK楢崎の好セーブもあって追加点が奪えません。すると45+2分、山口からの浮き球をゴールを背にしながら足元におさめた久保山が見事な反転からゴールを決めて同点に。横浜Fにとっては前半唯一のチャンスでした。試合は同点で折り返します。

 後半は落ち着きを取り戻した横浜Fが逆に開始からエスパゴール前に迫り、二度決定機を作ります。一方のエスパも長谷川、ファビーニョのポストプレイを起点にカウンターを仕掛け決定機を作りますが得点には至らず、一進一退の攻防となりました。が、60分過ぎに怪我を抱えていた長谷川をアレックスに代えた事で前線の起点を失い、さらに前半から飛ばしていた事による運動量低下が目立つエスパが次第に劣勢となり、73分、サンパイオからの浮き球のパスに反応した永井がエスパのDFを引き付けて吉田にパス。吉田が落ち着いて決めて横浜Fが逆転に成功します。この後何とか同点に追いつこうとしたエスパでしたが横浜Fの守備を崩せず、横浜Fが2度目の天皇杯優勝を果たしました。

 この試合に関してはまず横浜フリューゲルスに触れる必要があるでしょう。Jリーグ発足当初は同じ横浜にホームタウンを持つマリノスと比べるとネームバリューの面では劣りましたが、エドゥー、モネール、アマリージャといった外国籍選手や森、前園、渡邊ら個性的な選手が多くて魅力的なチームでした。その後も著名な外国籍選手が多く加入するし、中でもこの試合でプレーしたセザール・サンパイオは98年W杯のブラジル代表の主力でした。また若手の育成にも長けていた印象があり、そのせいか98年のチームには翌年のワールドユースナイジェリア大会のメンバーとなる手島、辻本、遠藤、氏家の4選手がいました。そういう実績のあるクラブだけに、マリノスとの合併の発表は本当に晴天の霹靂で、完全に現場を無視した上層部の事情だけで決まったものでしたから、僕も何というかやりきれない気持ちでした。だからこうした境遇にもめげずに戦って最後に優勝を手にしたフリューゲルスの選手、スタッフは本当に見事でしたし、称えられるべきだと思います。

 でも、僕らも「勝ちたい!」という気持ちは決して負けていなかったと思います。試合を観終わってから思い出したのですが、確かノボリが試合前に「清水はこの1年間ずっと強かった。だからこの試合も負けられない」という趣旨のコメントをしていたんですよね。実際リーグ戦の総合順位は3位でしたから、その思いは他の選手達もエスパサポも一致するものだったと思いますし、ましてやウチも前年度は経営危機により消滅の危機に立たされていたのを乗り切ってわずか1年でここまで来ましたからね。それだけに負けたのは本当に悔しかったし、その後三が日の間ずっとどよーんとした気分でいた気がします。

 まあ敗因は押しまくっていた前半に追加点がとれなかった事でしょうね。惜しいシーンは何度もありましたし、もう1点とれていれば硬さのあった横浜Fはさらに混乱していたように思います。その追加点がとれなかったどころか逆に同点弾を食らってしまった事で横浜Fに立ち直る機会を与えてしまったのは痛恨でした。それと後半途中に健太に代えてアレックスを入れたのですが、これも敗因の1つでしょう。ただこれは致し方ないでしょうね。前年の経営危機の影響でトップチームの所属選手は23~4人しかおらず、ユースにいたイチ、平松、和田らを二種登録して使っている状態でしたから(もっともこの時の三年生がJr.ユース立ち上げ時のメンバーで、中三の時に日本クラブジュニアユース選手権優勝、高二の時にJユース選手権を優勝したメンバーだったのは幸運でした)。中でもFWは人材不足で、健太は膝の状態が良くなくてフル出場は難しい状態だったし、98年に加入したファビーニョはなかなかフィットできず、また外国人出場選手枠の関係もあってなかなか出られませんでしたから。これについてはペリマン監督の起用ミスとはいえないし、仕方がなかったと思います。

 クラブもその事は考えていて、この時のクラブ合併の対象である横浜Fから服部と久保山、横浜Mから安永を獲得し、その中から久保山と安永がシーズン途中からスタメンに固定され活躍する事になります。中でもこの試合の勝負の分かれ目となるゴールを決めた久保山が、翌シーズンにチーム最多得点をあげて2nd.ステージ優勝に大きく貢献し、引退してからもアカデミーやトップチームのコーチ等としてエスパルスに関わり続けてくれているのは感慨深いものがありますね。

 それはともかく、負け試合で、この試合を映像で見直した事はこれまで一度もなかったのですが、やはりこの98~99年のチームはすごく思い入れがあるので、チャンピオンシップに続いて彼らのプレーぶりを見る事が出来て良かったです。NHKにはこの調子で99年2nd.ステージ優勝を決めた横浜FM戦を放送してくれると嬉しいんですけどねぇ。

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