思い出の試合7(2011年10月2日 清水vs名古屋(アウスタ日本平))
本日(5/25)、首都圏と北海道で残っていた緊急事態宣言が解除されました。これを受けてJリーグも再開に向けて本格的に動き出すと思います。ただ再開されるのは最速でも6月末だと思うし、それまではサッカーのない週末のない事が続きます。昨日一昨日もヒマだったので、過去の試合を2試合ほど見直しました。そのうちの2011年J1リーグのホームでの名古屋戦の感想を書きたいと思います。
この試合、実は僕は現地では見てないんです。会社が推薦する資格の試験があったもので。ですので結果は友人からのメールが頼りでした。またこの試合はTBSが放映権を持っていたのですが、「TBSアナによる絶叫中継はイヤだな」と思ったので生放送は録画せず、J-SPORTSが実況と解説を入れ直してくれた録画放送の方を見たのです。だから少し日がたって観た分現地で観た人より少し温度差はあったかなと思います。まあ実況は八塚さんがしてくれたので良かったですけどね(解説の林健太郎さんはいまいちでしたけど)。
エスパルスのスタメンとベンチメンバーは以下の通りです。
GK 山本海
DF 辻尾、岩下、ボスナー、太田
MF カルフィン・ヨン ア ピン、小野、リュングベリ
FW 大前、アレックス、高木
SUB 碓井、平岡、村松、山本真、竹内、枝村、鍋田
立ち上がりは高木の思い切ったシュートが2本続くなどホームのエスパルスが勢いよく前に出ますが、名古屋も落ち着いて対応し途中までは膠着状態となります。が、エスパの3トップによるプレスとコンパクトな守備の前に名古屋が次第に攻め手を失って下がり始め、エスパが優勢となります。両サイドからの攻撃を軸としつつそこに小野、リュングベリのインサイドハーフが絡む攻撃は迫力がありましたが、この日闘莉王を出場停止で欠く名古屋も身体を張った守りでゴールを許さず、前半はスコアレスで折り返しました。
後半、最初は名古屋も攻勢を仕掛け、1度決定機を作りましたが、エスパの衰える事のない運動量の前に次第に劣勢となり、60分以降はエスパが完全にペースを握ります。太田がハーフスペースまで侵入して折り返したボールを小野が合わせた場面や、同じく太田からのアーリー気味のクロスに大前が合わせた場面など、何度か決定機を掴みますが得点には至りません。しかし73分、左サイドからカットインして右足で上げたクロスを大前がヘッドで合わせ、ようやくエスパが先制します。その後もエスパは攻撃の手を緩めず、84分、右サイドへ流れてボールを受けたリュングベリが相手左SBをちぎってグラウンダーのクロス。これをアレックスがゴールへ流し込み追加点。試合は最後まで攻撃の手を緩めなかったエスパルスが2-0で勝利しました。
2011年シーズンのベストゲームとの評価のある試合ですね。もっと言えば「ゴトビ政権下のベストゲーム」という意見もあります。実際こうやって改めて観ると、その評価も間違いではないように思いますね。前述の通り名古屋は闘利王とあとダニルソンを欠いてはいましたけど選手層は暑くてこの年も優勝争いをしていたし、何よりストイコビッチ政権下の名古屋にはそれまでずっと勝てなかったですからね。前の年はホームで1-5と虐殺されてますし。それがあれだけ終始押し込んで勝ち切ったのですから、そういう評価が出るのも当然でしょう。
同時に思うのが、「これが当時のゴトビ監督がやりたかったサッカーなんだろうな」という事ですね。
ゴトビ元監督の評価については賛否両論あると思います。否定的な方がまず言うのは「サッカーがつまらない」というとこでしょうか。4-3-3が基本形でオランダのように両サイドから攻めるスタイルですが、僕も気に入らないなと思っていたのは、CBもしくはボランチから中へのパスについて「リスクがあるから」と言って嫌っていた事です。その影響からか悪い時はブロックの周りでただ回すだけになってしまって攻め手が作れない状態に陥ってました。僕個人は真ん中とかハーフスペースにポジションをとった選手にタテパスを入れる事が重要だと思っているので、悪い時のただサイドとCBとでボールを回すだけの状態を観て「なんだかなぁ」と思ってました。
ただゴトビ元監督時代の3年半が全てそんな試合ばかりかというと決してそんな事はなくて、面白い試合もあったんですよね。この試合のように。守備時は前からガンガンはめていって中盤もしくは最終ラインでボールを奪って、そこからサイドへ展開して勝負を仕掛ける。攻撃時においては調子が良い時の大前と俊幸のプレーは面白いし、この年は辻尾と太田、次の年以降はキジェや吉田に河井や石毛までSBに起用して、両ウィングをフォローさせて、とにかく両サイドからガンガン揺さぶって崩していくスタイルでした。2012年のアウェイのF東戦のようなエモーショナルな試合もありましたしね。何より2011年はその前の年に無理をし過ぎた反動からスタメンクラスの3分の2が一気に抜けてしまって、本当に一からチームを作り直さなければなりませんでした。そんなチームがほぼ残留争いに巻き込まれずに戦えたのは、ゴトビ元監督がしっかりとした自分の目指すサッカースタイルを持っていて、それを厳しい指導で選手達に叩き込んだからだと思います。もし確固としたスタイルを持たない人が監督だったらもっと早く降格していたかもしれません。翌年以降も一部選手とのゴタゴタなどありましたけど、少なくともこの年にゴトビ氏がチームを率いてくれたのは幸いだったと、この試合を見返して改めて思いました。
以上、何か例によって取り留めのない文章になってしまいました。こんな乱文でも皆さまのヒマ潰しになれば幸いです。他にも見たい試合はあるのですが、一番観たいと思っている2009年のホームでのダービーのディスクが見つからないんですよねぇ。ちゃんと探さねば。
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