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2020年5月 1日 (金)

思い出の試合3(2005年11月20日 J1第31節 柏vs清水(日立台))

 GWは始まったものの緊急事態宣言下という事で行楽に行くというわけにもいかず、家でダラダラと過ごす日が続いていますが、そんな中でこれまでに録画してきたディスクの整理をしていたところ表題の試合を録画したDVDを見つけたので、今日の昼間に久しぶりに視聴しました。せっかくなのでこの試合の感想を書きたいと思います。

 2005年は長谷川健太監督の就任1年目。前の年も下位に低迷し、期しくも同じ11月20日に日本平で行われた柏との残留争いの直接対決で勝った事で残留したものの、石崎監督は解任。それを受けてOBをトップチームの監督に抜擢する形となりました。就任当初から「守備を固めてのファストブレイク」を徹底させ、夏前には10位まで順位を上げてきたものの、7月末くらいからじりじりと順位を下げ、特に25節からの市原戦からG大阪、大分と3連敗。特に大分には0-5と惨敗しどうなる事かと思いましたが、続く28節でのダービーで枝村をスタメンに抜擢してドロー。次のアウェーでの名古屋戦では青山を抜擢し、その青山の先制ゴールもあって5節ぶりの勝利。続く横浜FM戦では接戦の末敗れたものの内容的には少しずつ持ち直してこの柏戦に臨みました。この試合の前の時点でエスパは15位で柏は16位。両者の勝ち点差はわずか1でした。当然ながらチケット確保は大変で、アウェー席はSOLD OUTだったのですが、友人がメインスタンドの指定席を確保してくれたので、何とか現地で観る事が出来ました。

 エスパルスのスタメンとベンチメンバーは以下の通りです。

GK 西部
DF 市川、青山、斎藤、山西
MF 伊東、枝村、久保山、兵働
FW チョ・ジェジン、マルキーニョス
SUB 黒河、森岡、澤登、チェ・テウク、西野

 この試合は高木和道が出場停止で、代わりに前節出場停止だった俊秀がスタメン。他では前節スタメンだった太田に代わって久保山が右サイドに入りました。

 試合は開始早々に動きます。15秒、遠目からのクレーベルからのシュートが前線のレイナウドの足元へ。これをおさめたレイナウドが低い弾道のシュートを打ち、西部が反応し切れずに、柏に先制を許しました。これで勢いを得た柏が両サイドから攻めたて、エスパは10分ほど防戦一方となり、ボールを奪っても前線へ長いボールを送るしかありませんでしたが、送った先の2トップの2人が個人でもボールを持てるタイプだった事と柏のプレーが全体的に荒くて自陣でファウルをしてくれた事の2点から少しずつエスパが敵陣でプレーできるようになり、さらに柏の中盤の守備の要の明神が前半途中に怪我で交代して柏のバランスが崩れた事が重なって、そこからエスパが両サイド、特に右サイドから柏守備陣を攻め立てる展開となりました。ただいくつかあった決定機を決める事が出来ず、0-1で前半を折り返しました。

 後半はいくぶん柏が持ち直したものの、基本的にはエスパがボールを握って柏がカウンターを狙う展開。50分くらいにレイナウドに際どいシュートを打たれましたが、それ以外は中盤も含めた守備陣が踏ん張ってそれほど危ない場面はありませんでしたが、エスパもなかなか決定機を作れません。そんな中64分に久保山に代えてチェ・テウクがIN。テウクが左に入って兵働が右に回りました。その後もじりじりする展開が続きますが、75分、テウクの際どいシュートによって得たCKで、マルキーニョスが薩川に倒されてPK。マルキーニョスが冷静に沈めてエスパが同点に追いつきます。さらに78分にはエスパゴール前でのFKでの競り合いでクレーベルが兵働にラフプレーを見舞って、一発レッド。これでさらに優位に立ちましたが、柏も3バックの一角の土屋を前に上げるなどして勝ち点3への執念を見せます。そして90+2分(当時の記録は89分ですね)、マルキーニョスの左からのアーリークロスをジェジンが左のスペースに落とし、そこへ走り込んだテウクがGKのニアをぶち抜いての逆転ゴール!その後は時間稼ぎのために澤登、西野を投入したエスパが柏の放り込みをはね返し、見事な逆転勝利をあげました。

 当時の記憶は正直あまりないのですが、テウクのゴールシーンと、その時に日立台のメインスタンド観戦にも関わらず立ち上がって大声を上げたのはよく覚えています。ただ同志も何人かいましたね。で、本当に久しぶりに観ての感想なんですけど、「思っていたより良いサッカーやってたな」ってところですね(汗)。まあ順位が順位でしたし、この試合のシチュエーションから考えるともう少しガチガチの守り合い、つぶし合いを予想していて、実際前半途中まではそんな感じでしたが、途中からつなげられるところではしっかりつないでいたし、攻撃における役割分担も出来てました。前線ではジェジン、マルキーニョスが交互に左右に流れて起点を作る。中盤はテルが後ろでボールをさばいて枝村が前に絡んで攻撃に厚みを作る。サイドでは左の兵働がゲームメイクを担って、右の久保山とイチの連携で崩していく。大雑把に言うとそんな感じでしょうか。残留争いの真っただ中でこのような形が作れていた事は、若干意外ではあります。実際この年は本当に試行錯誤の連続で、本当に苦労してたんですよね。確か開幕当初は3トップだった記憶があるし、守備重視のカウンター狙いのチームを作ろうとしたのはいいけれどなかなか点がとれず、夏場を過ぎると自慢だったはずの守備も崩れるし、メンツもなかなか固定できなかったし。中でもボランチは最初は和道を抜擢して守備では貢献してくれたものの攻撃面はなかなか機能せずに最終的に諦めたものの、代わりの杉山浩太もなかなかフィットせず、テルの相方がなかなか決まらないで苦労していた記憶があります。

 それだけに28節でスタメンに抜擢された枝村が期待に応えてくれた事は非常に大きかったと思います。彼がリーグ戦初スタメンにも関わらず前への積極的な飛び出しで攻撃を活性化させてくれた事は僕も鮮烈に覚えています。この枝村の台頭と次節の青山のCB起用によってようやくチームの形が定まって、ある程度長谷川監督がやりたいサッカーが出来上がったのかなと思います。このチームは33節でようやく残留を決めた後、天皇杯では準優勝を果たし、翌年藤本淳吾や矢島が加わって4位に躍進するわけです。が、もしこの試合でもし負けていたらチームが瓦解していた可能性もあるわけで、その意味ではこの試合での勝利は本当に価値があるものだったと思います。

 ただ、この試合の映像では、試合終了後は柏の選手達が呆然とする姿やサポーターが泣いていたりしたシーン「しか」流れなかったのですが、10年後には僕らも同じ悔しさ、辛さを味わったわけで、改めて見ると特に柏サポの気持ちが痛いほどわかって切なかったですね。

 例によって長くなってしまってすみません。Jリーグが再開するまではまだ時間がかかりそうなので、また別の印象的な試合の映像を見つけら今回のような雑感を書こうと思います。

P.S
 そう言えば明朝横浜フリューゲルスとの天皇杯決勝を放送するんでしたね。でもあれ、本当に切ない試合なんですよね。エスパ側からすると。

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